ヨーロッパ道中記・トルコ編-2


5月13日<8日目>

今日はいよいよトルコでのメインイベント”ガリポリ慰霊ツアー”へ。
ホテルへ迎えが来て、普通の長距離バス(笑)に乗り換えいろいろな停留所で止まったり休憩して・・・

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トルコ式トイレ。
これは休憩で止まったドライブインの有料トイレ。入り口におじさんがいて0.5リラ払って中へ。

写真の奥の青いバケツは汚物入れなんだけど、手前のほうにある青いバケツは・・・手動ウォシュレット。 これと同じような感じのものはインドネシアあたりでもあるから驚かないけど・・・さすがにこれはね~~

と、奥を探したら洋式トイレ発見!

トイレットペーパーがないぞ!?と仕方なく、ポケットティッシュを使って出たら外にあった。 写真を撮って発見した。笑 これ使う分取ってもって入るんだわね。

停留所で物売りがバスの中に入ってきたりして、なんかわからんスイーツを買ってるパン君。笑
長距離バスの旅を楽しむ~んじゃなくて、爆睡だった私。
飽きることもなく~~走ること5時間。やっとガリポリに到着。

で、ここからがツアーなわけね。苦笑

ツアー客はすべてOZで、私たちを入れて10人の団体。
マイクロバスに乗り換えていよいよツアーへ。


ここで、ガリポリのことを知らない日本の皆様へちょっと紹介ーーー


1915年4月25日。
第一次世界大戦でアンザック軍(オーストラリア+ニュージーランド軍をあわせてこう呼びます)がイスタンブール攻略作戦の先駆けとして、イスタンブールへ続く黒海への入り口であるトルコのガリポリ半島へ上陸。

上陸先が地理的に不利だったアンザック軍は、トルコ軍からの狙い撃ちにあい、上陸したほとんどの人が壮絶な戦死をとげた。このとき1m四方に6000発の弾丸が飛びかったそう。。。
8ヶ月続いたガリポリ作戦では、オーストラリア軍、8000人以上。ニュージーランド軍2700人以上の戦死者をだし、オーストラリでは上陸した日を”アンザックデー”としガリポリ作戦に従事した軍人やそれ以降の戦争で戦士者の英霊を弔うための国民の休日となっている。



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ツアーガイドのハッサン。彼は国内外のVIPクラスが来た時にもガイドをするほどの有名ガイドさん。
トルコでは今も徴兵制があり、2年間だったかな~軍隊に入ってたんだって。

もともと小さいころからガリポリにものすごく興味を持っていたハッサン、軍隊時代に念願のガリポリ駐在だったこともあって、兵役が終わった後もガリポリに残って英語を勉強し、ツアーガイドになったそう。


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今は緑に覆われて、なにもなかったようなガリポリの地。
でも今でも少しほれば人骨がいっぱい出てくるそうよ・・・

ディガー(Digger)と呼ばれていたアンザック軍。 Digger とは坑夫のこと。

その由来は、この緑いっぱいのガリポリもその当時は焼け野原で、木も草もなく、遠くからでも見通せたのでそこを進むのは無理な話。
そこで、考えたのが地下通路!

なんと全部人力!スコップ1本で掘り進み、8ヶ月間にほった総距離300キロ・・・直線で行けばばイスタンブールまで行く距離やがな。。。。苦笑

もちろん、トルコ軍も同じようにしてたので、掘り進んでるうちにぱったりとかち合って~~
そこで撃ちあいになったりもしたんですって・・・

そんな地下通路への穴ももいたるところにあって、そこはときには墓穴となり・・・一個団体全員が埋葬されたりもしたそうよ。



ガリポリのことは、私もこっちに来て学校の授業で習ったことで、それまで全然知らなかったのよね。

パン君がどうしてもここにこだわったのは、元軍人であるから。という理由以外に大叔父さん2人をガリポリで亡くしているので、その慰霊をしたかった。ってのがホントの理由。

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たくさん点在してる墓石や名前の刻まれた慰霊碑の一つ一つを探して歩く私たち。
珍しい苗字(AUSには2軒しかないらしい)なので探すのは簡単に思われたんだけど・・・
全員の墓石があるわけではないし、それも後年立てられたもので探しだすことは出来なかった。

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ガリポリ。

・・・といえばOZにとっては、沖縄やレイテ島、硫黄島。みたいな感じ・・・でも戦争が風化しつつあり、英霊を奉る靖国の問題にせよ、何がナンやらわから~~んという日本の若者たちよりも、もっともっと強い思い入れがOZにはある。
それだけにガリポリ作戦から90年以上たった現在でも、毎年4月25日にはOZ(特に若者)が団体ツアーを組んで、慰霊の旅に出かけている。
今年のアンザックデーの慰霊祭に7000人以上のOZが参列したらしい。←ハッサン談。
この愛国心。見習いたいものよね・・・


どの戦いにも英雄というか、象徴される人物はいるもので・・・
OZの助け合いの精神<マイトシップ>”に象徴される人物がこの人!

ジョン・シンプソン 享年22歳

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↑写真のファイルはハッサンの持ち物。わざわざシンプソンのお墓がみなにわかるように置いてくれた。

シンプソンは、医療部隊所属の兵士でそのロバ・マーフィーは傷ついた戦士たちを運び、1ヵ月後にシンプソンが銃弾に倒れるまで数多くの軍人たちを助けた。


この話、私も学校で習った。もっと年の行った人かと思ってたんだけど、22歳だったのね~
墓石を見ていくと、18やら19やら・・・みなうちの子たちと同じような若さでね~~涙。
一番若い兵士は14歳だったとか・・・

なんともこういう話を聞くのは辛いわね。

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この銅像もマイトシップ精神の表れね。


さてさて、OZ側から見たガリポリはこうなんだけど・・・同じようにトルコ側から見たガリポリもあるわけで~~~
ハッサンはそこのところも話をしてくれた。

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↑トルコの戦没者慰霊塔と墓碑。

やはりトルコ側においてもガリポリの戦いは壮絶な戦いだったらしく、アンザック軍ほかイギリスやフランスの連合軍の戦死者43000人ほどに対して、トルコ軍の戦死者は86000人以上。

連合軍よりも2倍の戦死者を出したことに・・・ハッサン曰く、ガリポリ作戦に従事させられたのは軍事訓練も受けていない少年兵ばかりだったのだとか・・・

みな12や14歳くらいのまだ子供に、撃ったこともない銃を持たせてガリポリへ送り出したんだって・・・

アンザック軍や他の連合軍は、ガリポリ上陸前にエジプトで相当な時間の軍事訓練を受けていた正味の軍人。
それに対して、なにも訓練していない子供たち。。。上の写真の墓石の年齢を見てもみな14や15歳になってた。

なんとも悲しい話。

戦争は、悲しみしか生まんわ~~憎しみは時が経てば薄らいでいくものと思うけど、悲しみはね~いつまでたっても悲惨な話に胸が痛む。


余談だけど、トルコにもガリポリの英雄はいて、名前は聞き漏らしたんだけど、どこのおみやげ物やさんにもその人の置物が売られていた。

その人は、壊れた大砲の弾を運ぶ機械のかわりに250キロもある大砲の弾を背中におんぶして、大砲まで運びその戦いに勝利した。

という話。

後日、同じように大砲の弾を持ってみたけど、持ち上げることすら出来なかったらしい・・・火事場の馬鹿力ってやつね。

褒美に何がいかとたずねられて

国のためにしたこと、褒美は何もいらないです。でもパンをもう少しだけください

と言ったそうよ。ハッサンが言うには、トルコ人はパンが大好き!なんだそうで、
それでこういう答えになったらしいわね。



そういえばこの日の朝、お迎えのバスをホテルの前で待ってる間にこんな人をいっぱい見かけた・・・

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↑お店やレストラン、ホテルにパンを卸してる人。

なるほど~~トルコ人はパンが好き!ってことがよくわかったわ~~
しかし、めっちゃええタイミングでこの写真を撮ってたもんね。笑


そしてガリポリ慰霊の旅は終わり、また5時間かけて イスタンブールの町へ帰ってきました。


今回、パン君念願であった大叔父さんたちの足取りは、残念ながらつかめなかったけど、ガリポリの地を見て歩いて満足だったよう。

私としては、日本人でガリポリに行ったことがあるのは、まぁ~そんなにたくさんもいないだろうし(笑)誰も知らない場所だろうけど、
悲しい過去を乗り越えて、素晴らしい関係を保っているオーストラリアとトルコ墓地や記念碑はトルコの国費で整備されてます。ビバ!トルコ!! 
それを見て感じ取れたことでも十分に感動の旅でした。







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この記事へのコメント

山羊座
2009年06月04日 10:50
恩讐の彼方… なのねぇ~

それにつけても、東南アジア諸国の怨念の深さ!
戦争なんて、オバカな男どもの、闘争心と権威主義本能の結果、としか思ってない山羊座には…
何とも腹立たしいだけ!

何処にも、その辛い記録が残っているけど…
知覧に行った時は、時の権力者に対する恨みつらみが噴出したものだったわ!

でも、それを乗り越える事が出来ないとネ~
二度と、再び… とは思うけど、昨今の生臭い風の吹き方が、どうにも気になってね~~

止めて欲しい!
国同士の争いごと!
犠牲が、大きすぎるもの!
みっちゃん
2009年06月04日 10:54

@山羊座さん

その通り!!
なにも関係のない人たちが巻き込まれてね。
悲しみしか生まないんですよ!

戦勝国も敗戦国もどっちにも犠牲はあり、そして恨みが残り~~なんの得にもならんものに何で時間とお金を費やすのか・・・怒

今現在の情勢。何があってもおかしくない?と思えるだけに怖いです。(--)


たまごっち
2009年06月04日 12:27
パン君の為とはいえ、歴史好きのみっちゃんにも良いツアーだったのね。
ひげマスター
2009年06月04日 12:57
どこの国でも、少年達が戦争の犠牲になっているのですねぇ。愛国心は誰にもあるし、そこをうまく洗脳されるのかなぁ・・戦争は絶対起こしてはいけないことですね。悲しみしか生みませんものね。
みっちゃん
2009年06月04日 14:18

@たまごっちさん

英語学校時代にガリポリのことを勉強したんですが、まさか現実にその場に行けるとは~(^^;)

長距離のバス移動で道中は大変でしたがいいツアーでした。(^^)






@マスター

どの国もね同じですわ。(--)
トルコは親が行かせたようですが、AUSは志願兵だったようで・・・

悲しい出来事はもう2度と起こして欲しくないですね。




さるる
2009年06月04日 16:54
ガリポリとココダトラックはOZにとっては特別の場所だもんね。
第1次大戦は一応日本も連合国だったけど、第2次大戦で敵国になったおかげで今でもアンザックデーは複雑なものが…。
前にアンザックデーのパレードに孫が日本人とのミックスと言う人がその孫と歩くのを拒否されたことがあるんだよね。新聞記事になったんで覚えてるんだけど。
トルコ人、パン好きよ~。普段は大きなフランスパンのようなのを食べて、お祝いには丸いパン食べるし(グリークもなんだけど)、ゴマのついたスィミットと言うパンはどこにでも売ってるでしょ?漫画に描いてあったけど、イスタンブールのフェリー乗り場にはパンにムール貝やさばのフライの挟んであるパンがあって美味しいらしいのよね。
ところで本場のヴァクラバは食べたのかな?
私は甘すぎて食べられないけど、たまに食べたくなって自分でFilo Pastry買ってきて作るんだよね~。
ふぢ
2009年06月04日 21:37
戦争時の事は水に流し良い関係が築けるのはええよね。どこかの国みたいにいつまでも反日とか賠償とか責任とかいいながら金せびるよりはまったくスバラシイ。
戦争が人を狂わせるのであって日本が悪だから負けたわけでもないやんな。歴史は勝ったもんによって作られるし。言わずともわかってくれる、精神なんて日本だけや( ̄∇ ̄;)ハハハ
もっと正しい歴史を若いもんに知って欲しいわ。
なんにせよ戦争はいかんのだ。
ろまの
2009年06月04日 22:19
ほんまに戦争だけはあかん!私も東南アジアを旅していた時に、嫌というほどそれを感じたよ。教科書で習わなかったこといっぱいあって、知らなかったから恥ずかしかったもん。

ところでこの写真のパンはずんぐりしたフランスパンみたいなやつやろ?あれは美味しいで。シドニーでも「Auburn」というトルコ人街があるんやけど、そこのベーカリーで売ってます。美味しいよ。のびるアイスもあるし、次回来シドニーの際は時間があればご案内いたします~。
しゅんらん
2009年06月04日 22:46
マイトシップ
これって今の日本人に必要なものでは?
読み進むうちに、どの国にも歴史あり
どの国にも悲劇はあるのだと。。。
そして、それをどのように意識して今が
あるのかとか、今をどう生きてるのかとか

先人がいていま私たちがいるのよね
ピノ♪
2009年06月05日 06:04
トルコとネシア・・・確かに似てるかもねー。表面的には親日家なのよね。ネシアはオランダから開放してくれた日本・・・でも戦後は利用出来る日本は利用可能な限り利用しようって感じかな?まぁ日系企業の絡みもあって(暗闇商人って本読んだ事ある?)日本側も色々やってるんだろうけど。
そしてトルコは日露戦争でロシアをやっつけてくれた日本が大好き。トルコには山本五十六がラベルにデザインされたビールがあるらしいよ。日本人の女の子はモテモテだそうな。
ピノ♪
2009年06月05日 06:06
あ、本のタイトルが違った。ネシアが舞台なのは「神鷲商人(ガルーダ商人)」だ。作者は深田なんとかって人。
ちなみに「暗闇商人」は北の将軍様が出てくる本だったかな?
みっちゃん
2009年06月05日 07:26

@さるるちゃん

ガリポリはパン君にとっては万感胸にせまる思いがあったみたいよ。(^^)

サバサンド!
あぁ~~~食べ忘れた!トルコ料理は口にあったし、美味しかったよ。
そのゴマのついたパン。それ買った!(^^)

甘いものは、パン君が物売りから買ったへんな(笑)お菓子だけやったわ・・・(^^;)







@ふぢねえ

日本は、すべてを隠しすぎてるな。
悲惨なこともあくどいことも、ええことも~みな一緒くたにして、触れさせんようにしてる。
正悪ともにキチンと教えて、理解した上でモノを語らんといかんのやけどな。

90年前の確執をこえたトルコとオーストラリアの関係を見て、清清しかったよ!(^0^)





みっちゃん
2009年06月05日 07:27

@ろまのさん

歴史好きやったこともあって、いろいろ自分でも勉強はしたんやけど、やっぱりそこのあたりをアジア人につつかれると痛いわ~~苦笑

外国で住むからには、歴史もきちんと勉強して、恥ずかしくないようにしておかんと!と外国に住んでみて改めて思った。

このパン。
見た目はプランスパンみたやけど、フランスパンとも違ってモチモチして美味しかった。(^^)
パンが好きなのわかる気が・・・トルコアイス、私が食べたのは伸びんかった!爆






@しゅんらんちゃん

戦時中。。。自国民を『同志』という中国や韓国人とは違って、自国民の足を引っ張るやつらがいっぱいいたのが日本人だったとか・・・(--) なんか情けないよなぁ~~~。

OZのマイトシップは敵国のトルコ人にも発揮されてるねん。OZの器のでかさを見たな。笑

過去のことを今にどう活かすか!?
これは何事においても一番大事やことやと思う。







みっちゃん
2009年06月05日 07:27

@ピノ♪ちゃん

表面的ね。笑

ネシア人もやけど熱狂的に親日家なんは東ティモール人。笑 なんでも草の根運動で独立をすごく助けた日本人がいたらしい。

ネシアの日系企業の話は興味があるわ。その本、面白そうやね。

トルコはやっぱり日本人はもてる??
なんか熱狂的に見られたんよね・・・・って私も日本人に見てもらえた?ってこと??爆爆




ピノ♪
2009年06月05日 14:34
本お薦めよ。ちょっとデ○ィ夫人みたいな登場人物が出てくるノンフィクションなの。
みっちゃん
2009年06月05日 15:56


@ピノ♪ちゃん

今度会うときに貸してくださいませ。(^0^)


Ψ(ま`●´こ)Ψだぜ!!
2009年06月06日 11:00
歴史には疎いけどガリポリは映画で見たよー。
DVDも持ってるし。

実際は映画以上にもっともっと悲惨やったんだろなぁ・・・と(涙)

みっちゃん
2009年06月06日 11:27

@Ψ(ま`●´こ)Ψちゃん

戦争はいつも悲惨さぁ~。(TT)
犠牲になるのは結局関係のない人間ばっかりでな。
なんとも悲しいことや・・・(--)