心は難民 第二章・2


ゆっくりとした暑いクリスマスと正月を過ごしたあとは・・・怒涛のような日々が待ち構えていました。

まずは、病院。

次男君の病気は普通の町医者(GP)では、診ることは無理なので、膀胱炎でお世話になった女医さんを、我が家の掛かりつけ医にしてスペシャリストに紹介状を書いてもらった。

そして、ダーウィン・ロイヤル・ホスピタルへ。

このときも通訳としてAさんに付いて来てもらったんだけど・・・家族の既往症や家系のことなどプライベートなことを話すため、やっぱりあまりいい気持ちでもないしね~~
なにもかも初めてでわからないんでお願いしたわけだけど、これからは通訳は通さずに自分ですべてしなくては!!

と、ここからみっちゃんの”英語で大冒険シリーズ”が始まって行くわけよ!笑

結局、初日にボスの奥さん、私の学校と病院でAさんを2回頼んだだけで、それから後は自分ですべてやりとおした。人間、度胸と愛嬌でどうにでもなるものよね~~
英語が出来ない分、身振り手振りで人に伝えることができるようになったもんね。笑


で、初めての病院でのこと。

その先生は若くて、白衣も着てなくて、看護婦さんも同じ服は着てるけど白衣でもなくあの帽子も被ってなくて・・・なにもかもが日本とは違うことに驚いた。
そして診察室さえも、独立していたし、診察室には看護婦さんもいなくて先生のみ。

いたって普通の部屋って感じの診察室。

そこで、日本の病院で用意してもらったカルテと頭部CT写真の入ったMDを渡したんだけど・・・AUSって、当時どころかそれからもPCにMDがなかったのよ!

写真を普通にフロッピーディスクに入れてくれたら見れたんだけどね・・・11年前なのでDVDやCDさえもなかったのさ。笑
で、そのMDは1年後、里帰りしたときに友達にフロッピーに落としてもらって、やっと先生が見れたっておまけ付き。笑

結節性硬化症

日本では当時30万人に1人と言われてたんだけど、(今は1万人に1人)、AUSではその当時から7000人に1人の割合。というデータが出てて、若いその先生もよく知っていた。

脳に関係することなので、手術で取り除くとか取り替えるとかってことができない。
もちろん、1つや2つであれば、脳腫瘍と同じことなので取り除くことはできるだろうけど・・・うちの場合は、ほぼ全体に腫瘍があるので、取り除くことなど不可能だった。

ただひとつ、AUSで検査してもらってよかったのは、ウッドライトと呼ばれる紫外線のライトで皮膚を照らすことで、隠れた白斑が見え、遺伝性といわれてた病気が突発的に起こったのか、遺伝なのか?が診断されたこと。

私もシュレも、そして娘にもその兆候はなく・・・次男だけの突発的なことだといわれた。

私にその兆候があれば、長男にも娘にも”子供を作らないように!”といわなくてはいけない所で、シュレにあれば、娘にそれを言わなくてはいけないところだったわけで・・・
この病気の怖いところは50%の確率で遺伝するってことだった。←こういうことも日本ではその当時は知られてなかったと思う。

ところが・・・後日。めっちゃ最近のことだけど・・・私が入ってるMIXIの結節性硬化症のコミュで、アメリカの最先端医学の権威の報告によると~~このライトでの検査では、本当のことはわからない!とね。。。涙 またまた奈落の底さ・・・


日本よりも進んだ。。。というか臨床例の多かったAUSでいろいろと調べてもらったのは、とてもよかった。
脳だけでなく、内臓にも腫瘍ができることが多いので、内臓をエコー検査したら・・・
心臓、腎臓、肝臓にも腫瘍が見つかった。でも場所も大きさも無害だということで・・・そこは一安心。

今現在では、内臓にあったすべての腫瘍はなくっている。頭のもなくなればいいのに・・・苦笑

そこで聞いたのはやっぱり同じ質問。

どこまで発達できますか?

それと日本では聞けなかったこと

いくつくらいまで生きますか??

知能については、超重症なのでよくて2歳か3歳。寿命についてはなんとも言えない・・・とね。
ただ、そう長くはないだろう・・・とも。。。

でも、これも後日談だけど、日本の臨床例に現在72歳の人がいるって・・・私、いくつまで生きなくてはいかんのやろう??


当時2歳だっただけに、見た目が普通なので障害という障害はなにも目立つこともなく、運動機能は普通だったので、歩くことも走ることもできた。
ただ違ったのは何物にも興味がなく、なにも学習しない。ってことくらいだった。

体のどこも悪くもなく、頭以外は健康なので、3ヶ月に1回の定期健診とてんかん発作の薬をもらうだけで、病院ってのものにはあまり関係のない生活を今も送っている。

でも知能は・・・先生の予想よりもはるかに悪く、1歳以下。

13歳の現在も、なにも興味はなく、しゃべることもなく、私を親とも認識できず・・・オムツをし、食事から何から何まですべてに介助がいり・・・動けるだけに、手を離したが最後どこへ走ってしまうかも知れず~~外出は障害者用のベビーカーに括り付けなくてはいけないありさま。←動く植物状態??爆泣
くぅ~ちゃんの方が”待て”もできるし、私の言うことも理解してるので賢いって話。

毎日、てんかん発作は続き、以前、頭を切ったのも、この前手首を骨折したのも、我が家の壁に穴が開いてるのも、すべて発作で倒れたときに起こったことなのよね~。




さて、病院デビューもした私。
学校も始まって、そのときは珠入れのシーズン以外はダーウィンで仕事していたシュレちゃん。

朝、7時に家を出るので、6時に起きてシュレの弁当と長男くんの弁当。そして朝食の準備に、双子の食事からオムツ換えから着替えまでを一人でこなして・・・シュレはその間ゆっくりと30分トイレタイム。そしてシャワー&朝ごはんを食べて優雅に出勤。
私自身は自分の身支度をして双子を連れて、チャイルドケアに送っていって、それから学校へ。という生活が、その日から2年間毎日続いた。

クラスメートから付けられたあだ名は”ラビット
いつも忙しく走ってたから・・・爆


なにせ、通訳を使わずに一人ですべてこなすこと!!が私の目標だったわけで・・・というよりも、シュレが英語がまったく出来ないから、私が英語が出来ないことには家が回っていかない。

早くOZ社会に溶けこまなくては!!心は難民!帰る国はないんだ!!

この言葉を胸に、TVは今と同じように母が送ってくれる日本のビデオだったけど、ほかには全部挑戦した。

電話のところには、とっさの一言!から書き出した

*間違い電話です。
*今、出かけています。
*後で掛けなおします。


紙を貼り付けてそれを見て対応。
シュレはいつも居留守を使うけど、子供のこともあるのでそれはできないしね。苦笑

電話を掛けるときは、紙に

ハロー

から始まって、最後まで自分が言いたいことを書き出してそれを見ながら電話をしてたわ・・・笑
セールスの電話も英語の勉強!!となにもかもすべてを勉強の対象にした。

今となっては笑い話で・・・今なら文句の電話もバンバン掛けてる私。爆笑~人間ちょっとづつでも成長するもんよね。


誰の助けも借りられない。甘えられない情況にあったおかげで、それはそれはAMEPの先生も感心するほど勉強をした。
そのおかげで順調にクラスも上がり、良く勉強をする。ということで550時間以上の時間もすべてただにしてくれたコーディネーターの先生。

モジュール5、6の先生は

英語が上達したいなら、英語圏以外の人間とつるむのは良くない。OZ社会に入っていきなさい。
それが一番の英語上達の早道ですよ!!


とね。
このアドバイスを受けて、その1年後くらいかな~子供も少々は大きくなったんで前から興味のあった社交ダンスを始めた。

それまでの1年。
子供が小さいこともあって、ベビーシッターを雇うのもちょっと抵抗もあったし、なによりも勉強で忙しかったのもあって、とにかくまずは英語の勉強を!
ということで、AMEPを1年半で順調に卒業したあと、大学の予備コースでもあるアドバンスコースへ。
ここも6ヶ月のコースですべて1発でパスして、晴れて卒業。

そのときの英語力は・・・5をネイティブの基準とするテストで、しゃべり3.ほかはコース修了規定の3+を超えていた。しゃべりがやっぱりほかよりも低いんだけど、総合的に見て卒業OK!となったわけね。


さて、学校が終わってしまうと・・・家にこもっていては英語を使う必要もなくなる・・・
どうにかせねば!ということで、TAFE(職業訓練校)のITの初級コースへ行こう。と思い立った。

そのころ、パソコンをようやく買ったところで、なんとかメールとネットはだけはできたところで、パソコンのことも勉強もしたかったしね。それと

大好きなダーウィンをみなに紹介したい!!

ということで、ホームページ作りの講座があった初級のITコースに入学。
そこで、ワードやエクセル、パワーポイントにアクセスなどなどすべての勉強ができて、自分のホームページも作れた。

ダーウィンから愛をこめて・・・』私が作った初めてのHPで、ふぢねえもひげマスターもそのころからの常連さんだったのよね。長い間ありがとう!!


さて、このITコース。
初めてOZたちが通うコースに行ったわけね。

それまではみな英語圏以外から来た人間で、私以外に数人以外はすべて難民として来てたクラスメートばかり。
英語が出来ない人間同士、心が通じるというか、わかりあえるというか・・・みな仲良しでフレンドリーで~~
朝クラスへ行けば

おっはよう!!

と元気に挨拶するのも当たり前で・・・その感覚でウキウキしながらITのクラスへ行った第一日目の朝。
痛烈なOZ社会の冷たい風を受けた。

おはよう!

と挨拶しても誰一人として挨拶もなく、私を見ることもなく、完全無視!・・・私一人ぼーぜんとしてたっけ・・・
OZってフレンドリーじゃなかったっけ?私がアジア人だから??それとも英語が変だからしゃべってくれないの???

このことは、前に大学に行ってる同僚の奥さん(ボスの奥さんとは違う女性。実は結婚前にジャスダンスを教えてたときの生徒さんだった。笑)から

大学に行くと、AMEPとは違う痛烈な歓迎を受けるよ。
OZの中で一人でおらなあかんことが辛いときがあるけど、それに負けたらあかん!


ってね。
このことやったんや・・・

誰一人して、しゃべってくれる人もおらず、友達にもなれず・・・しょっちゅうAMEPのある棟へいっては、先生やまだAMEPにいた元クラスメートに泣き言をいうてたっけ・・・
それが1ヶ月以上も続いたかな~AMEPのコーディネーターの先生に辞めたい。ってもらしたこともあったわね~苦笑

誰ともしゃべることもなく、黙々とテキストを仕上げていって、仕事も速かった?から、隣の人に教えてあげることからその問題は打開したんだっけかな???

隣に座ってたシャロン。
彼女と友達になったことで、ほかにも友達付き合いをしてくる人間が増えて・・・
よくパーティーにも呼んでもらって、子供たちの布団も持って家に行って夜通しパーティーもしたわ~
海が前だったうちのベランダで、雨季の雷の稲光をみなで見るパーティーとか・・・OZの文化習慣を彼女から教えてもらった。

このころから、ダンスを始めて、ダンスのレッスン場でできた友達もいて、ダンスに嵌っていって、普通のレッスンや団体クラスだけでは物足りなくなって、パフォーマンスチームに入って、いろいろな催しやショーで踊る楽しみを知って・・・
OZの友達もいっぱい出来て~~ついでにダンスからグレン(ゲイ友)とも知り合って、ダーゥインのゲイ社会でも顔が通るようになり・・・週末には、ダーウィン中のニューハーフたちがうちに集まるようになったり・・・爆爆

彼らは、ゲイの仲間であって仲間でなくてね~ゲイから見下されているような環境だったんで、痛みを良く知ってる子たちで・・・次男にもとても優しくて、よく遊んでくれたりしたわ・・・


普通の日本人妻が劇的な変化を遂げた時期だったわね~~~爆笑
障害児を持ったおかげで、偽善とかではなく、国や肌の色や性別を超えた”人間”そのものを見ることもできるようになったのかも・・・

こう考えれば、次男がいたことで、私の中の引き出しもいっぱい増えた!ってことになるんだわね・・・やっぱり神様が私に与えた試練であり、贈り物だったのかね・・・なんとも釈然とせんものがあるけれど・・・笑







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この記事へのコメント

しゅんらん
2009年11月24日 10:07
怒涛の展開ってこの時期みたいなことを
いうのかもね
ただその病気にかんする認識っていうのが
国によっても違いがあるんだね
日進月歩とはいうけれど
受け入れて歩むしかないのか??
その状況と並行して自分の
スキルも向上しようとする
みっちゃんの姿はすばらしいぜ
るびぃ
2009年11月24日 11:07
ダーウィンから愛をこめて…のHP見ていました

ダンスを始めた頃だから6年位前かな?
それでみっちゃんの事知りました
知っていたのは私だけですが。。。

みっちゃん,バイタリティの塊のような人ですね
私も頑張らなくては。。。(笑)
山羊座
2009年11月24日 13:18
いろんないきさつも、経過も…
過ぎてしまった過去だから、これだけ語れるんでしょうねぇ~

単純に、敬服しますとか、尊敬しますなんて言えないんですよ~
ふぢ
2009年11月24日 14:05
どうやってみっちゃんのHP辿りついたんかもう覚えてへんわ~(笑)
やっぱ自分で勝ち取ったサバイバル英語は身につくね。耳が痛い( ̄m ̄*)プッ
Aさんが甘やかすからだわ♪
しかし色んな経験して辛さも味わい楽しさも味わい今のみっちゃんが出来上がったのだね。
ていうか、「普通の日本人妻」てダレ?|д゚)
みっちゃん
2009年11月24日 14:40

@しゅんらんちゃん

ありがと!
やっぱ若さもものを言うた感があるわ~~笑
今同じことできるやろうかな??

やっぱりそれそうなりの時期とタイミングってのがピッタリと合ったんやろうね。

これからも波乱万丈な人生なんやろうけど・・・エンジョイするわよ!!(^0^)








@るびぃさん

あらま!?ダーウィン時代から見ててくれたんですか??
それはそれはありがとうございます!!

あのころは、コンペもやってなくてホントに楽しいダンスをしてました。
いまもダンスで辛いことがあると、ダーウィン時代を思い出したりして。。。(^^;)

子供も小さくて、余裕もなく大変だったけど、楽しい時でした。(^-^)









@山羊座さん

もう今となっては笑い話の部分も多々あります。英語での失敗は数知れず~~それでもみな暖かく見守ってくれたことが最高の思い出になってるかな。

ダーウィンは私の第二の故郷であり・・・今も大好きな場所と思い出になってます。









@ふぢねえ

あのころはいろいろとあったもんなぁ~お互いに!ぷっ
しかし思えば思うほど、不思議な縁よな。
魔法の箱(PC)おかげやねぇ~(^0^)


あら?このかわいい日本人妻が見えないかしら??ここ!ここ!爆爆




ふぢ
2009年11月24日 14:50
o(゚Д゚ = ゚Д゚)o キョロキョロ

見えん。見えんでっ!
( ゚д゚)ハッ!アタシの事かしら。
たまごっち
2009年11月24日 15:36
悲しみや 淋しさは 優しい人間を作ってくれる。
そこから喜びを知った人間は 勇気を持つ。

誰でも多少なりとも経験があって、糧となるけど、何重苦を乗越えるパワーは 育った環境から来ると思うわ。

このDNAは 受け継がれて行くわよ。
伝説となってね。(*^_^*)

地球人の友達より
さるる
2009年11月24日 16:35
うん、うん、この国は障害児がいる親に休めといってくれるし、学校のサポートもファンドが出れば(ここが重要なんだけど)ちゃんとしてるから日本よりは心の負担は軽いと思う。
たけぽーの担任の先生なんか、私に「休んでる?ストレスためてない?」と何時も訊いてくれるわ。日本だったらそうは行かないと思うよね。
私も旦那に何でも自分でやれと言われたおかげで最初の1年で凄く英語が話せるようになったわね~。自分の母親がイタリアンしか喋れないから、私には英語で対応できるようになってくれと思ってたみたい。
AMEPは妊娠、出産、子育てで行けなかったけど、3年前に少しだけど行けたから(まだ400時間以上余ってるけど)、でも、本当は私もアカデミックコースにも行きたかったんだけど、子供が小学校に行き始めたから、3時までには家に帰れないのがね~。まあ、いつでも勉強は出来るから、いいやと思うんだけど、書く方がやっぱりやってないと忘れて行くね~。
ピノ♪
2009年11月24日 17:11
「電話を掛ける前に言いたいコト全部書き出しておく」とか、「OZの中で一人壁の花状態・・・空気のように扱われる」っていう状況・・・想像出来る!!同じ経験してるわー。
後者は今でもたまーに経験するけど・・・ツライよね(大泣)。
ひげマスター
2009年11月24日 21:24
僕はダンスを始めたことでみっちゃんのHPにたどりついたのだけど、その頃みっちゃん孤軍奮闘って時だったでしょうか?すごくダンスに熱心な活発なおばさんと思ってました。まだ若いみっちゃんだったのですね。掲示板への書き込みでは、年齢がわからずに・・(汗)
ケラ
2009年11月25日 00:27
そうよ!みっちゃんは選ばれし人!
で、ちゃ~~んと逞しく生きてる!!
惚れてまうで~~~!!!
みんな多かれ少なかれ、重い何かを背負って、乗り越えて、生きてるんだ!と思うと、
てやんで~、メソメソしてられっかい!!って、自分に激飛ばしちゃったりして、又、一つ強くなれるね。
ア~、益々、みっちゃんと顔付き合わせて話がしたくなった!!
みっちゃん
2009年11月25日 07:37

@ふぢねえ

老眼で見えんかぁ!?爆笑

いやいや、私らはかわいい日本人妻ぁ~~~ららら~♪








@たまごっちさん

確かに!
昔の薄っぺらさを考えると・・・これも私の人生に必要だったのかな??なぁ~~んて。笑

長男も娘も、曲がることもひねることもなく、優しいいい子に育ってるし、この人生、案外捨てたもんじゃないのかも????

と言っておこう。笑






@さるるちゃん

いざとなったら、後ろにネイティブがおる!っていうのはええで!!(^^;)
OZの旦那や英語のできる旦那を持った友達が羨ましかったもんな~~~。

勉強はその気になればいつでもできるからね。
私もずっとツーリズムへいきたかったけど、時間的に昼から夜にかけてやって、そのときは行けんかったんよね・・・で、今はダンスで行けんから一緒やけど・・・笑

またそのうちに行こうと思ってるねん。(^^)







みっちゃん
2009年11月25日 07:38

@ピノ♪ちゃん

ピノちゃんでもそうなん??驚!!

電話の紙はええとして~(笑)
さすがにあの冷たくて入って行けん洗礼は辛かった。(TT)
今は・・・ほとんど感じることはないけど、でもやっぱりまったく初めてのところやとちょっと感じるときがあるかな・・・







@マスター

孤軍奮闘真っ最中でしたね。笑
今は、他のふたりが大きくなったこともあって、ずいぶんと余裕ができましたよ。(^^)

あのころは・・・まだ若かった!爆








@ケラさん

昔は体も弱くて、子供どころか、長く生きられるか??ってほどか弱かったのですが・・・爆笑

まぁ~気も体も強くなりました。。。。というかならざるを得なかった??笑
人間、鍛えられるモンですね~~~(^0^;)






keikei
2009年11月25日 09:57
壁の花~っていうのは あるらしいね
タイムリーに 今 読んでる本にもそういうのが書いてあったわ。それで 
「さようなら!帰るわ!(奥さんが母国へ)」
ってこともあるとか…